TV番組のMCにラジオのパーソナリティー、イベントの司会にモデルなど、マルチにそのタレントを発揮する田仲メリアン。沖縄で著名な彼女も、幼少期から沖縄アクターズスクールに通い、歌に踊りにと夢を追いかけていた一面は知らない人も多いかもしれません。今回、インタビューを通して、内面に迫りました。
まず、メリアンさんの小さい頃の話を聞かせてください
アメリカ生まれの沖縄育ちです。
アメリカのテネシー州で生まれました。2歳ぐらいまでテネシーにいて、その後にフロリダへ移り5歳までいました。
その当時は英語で話をしていました。(当時の)ホームビデオを見るとお姉ちゃんと英語で喧嘩したりして、英語ペラペラだったみたいです(笑) 。でも、残念ながらいまは全然ですね(笑)
英語を聞き取ることはできますが、ボキャブラリーが小さいころで止まっていますし、使わないとどんどん忘れていってしまうんですよね。日本に帰ってきてから英語力を落とさないように英会話スクールに通ったりしました。
沖縄に帰るきっかけは母親が故郷の沖縄に戻りたいという気持ちになり、戻ってきました。
私は幼稚園の途中から沖縄へ戻ってきて、最初は日本語が全くわからない状態でしたので、お友達もいないですし、いつもダッシュに家に帰るという感じでした。
お母さんも絵本を教材にして日本語が覚えられるように工夫してくれたりしたみたいですけどね。
いつから現在のような人前に出る仕事をしようと意識されたのですか?
もともとは幼稚園のころから三年間ぐらいバレエをやっていまして、踊ること自体もそうですし、バレエが好きだったんですけど、事情があってやめたんですよね。
その後におばあちゃんが沖縄アクターズスクールを見つけてきて、ここがいいよ、あなたにはここがあってるよ!といって、勧めてきたんです。なのでバレエをやめて、アクターズスクールに入れられたんです。歌とかダンスとか、最初は私が?て感じだったんですけど、いざ入ってみると、あ!これは楽しい!と。これ私好き!ってなりまして(笑)。
アクターズスクールに入ってからは歌とダンスを中心に、歌手を目指していましたね。 まさにアクターズスクールが活気付いている頃でした。 その時には安室奈美恵さんやSPEEDは東京ですでに活躍していたので、私たちのなかでは憧れの存在でしたよね。
アクターズは小学6年生から中学3年生まで。その後はスターライトスクールへ移籍しました。スクールから輩出される先輩達を見て、自然と芸能界とか音楽業界を意識する環境にはいましたね。やはり具体的な目標になる存在が身の回りにいましたから。こういう風になりたいっていう明確な目標があったんですよね。安室奈美恵さんの影響もあって、ソロになりたいっていう思いが強かったんですよね。
安室奈美恵さんは沖縄の宝です。彼女は雲の上の存在だったので会う機会は全然なかったんですけれど。
その後も沖縄で練習されていたんですか?
高校を卒業後、東京へいきました。
東京で二年間スターライトスクールの東京校に通い、その後は二年間オーディションなどを受けながら、チャンスがないかなとアルバイトをしながら頑張っていました。
最初に決めていたのが、同じ歳の同級生が大学に入学して卒業するまでのこの4年間という期限が自分のなかになんとなくあって。その4年間すぎて何もなかったらとりあえず沖縄に帰ろう思っていました。
期間を自分のなかに設定して。
それで残念ながらその期間にチャンスをつかむことはできなかったので、これはちょっと違うんじゃないかと今までの夢には見切りをつけて、沖縄に帰りました。
さて、これからどうしようかとなったところで今の仕事をはじめました。
(東京生活の)後半二年間は特に焦りましたよね。
現実を目の当たりにしたというか。10代のころは夢に対してキラキラしていましたが、オーディションを受け続けてみて、あ、情熱だけではどうにもならないこともあるんだな、と現実を突きつけられたところがありました。
当然ですが、落ちこむこともありましたね。ただ、だらだら芽が出ないまま続けるのもよくないと思って、スパッと切り替えました。そして、やっぱり沖縄が好きだったんですよね。4年間ずっと心のどこかで沖縄に帰りたいって思ってました。お盆とかで里帰りするたびに、(東京へ)ああ帰りたくないな、なんであっちに帰るって言わないといけないんだろうって思いながら。沖縄は東京と比べて何にもないんですけどね。
4年間の東京生活を終えて帰郷したのですが、先のことは何も考えていませんでした。とりあえず沖縄へ帰ってから、さてこれからどうしよう、と。大学も行ってないのですぐ就職できるわけでもないですし、まずはスターバックスで働き始めました。
ありがたいことに親も特にああしろこうしろとは言わなかったんですよね。そこでアルバイトしていた時に、お母さんがよく聞くラジオ局がパーソナリティーを募集しているというのを聞きつけて、やってみたら?って言ってきたんですよね。ただお母さんがラジオが好きだっから、募集してるみたいよって感じで軽く言われて。で、あまり何も考えずにやってみようかなって受けたら運良く受かりました(笑)
なので、スタートはラジオからだったんです。その半年後からテレビのレポーターの仕事が入りました。その頃から度胸だけはあったみたいです。物怖じしないといいますか。そういった自分のベースは、やはりアクターズで数多く舞台にあがった経験があると思うんです。今までやってきたことがまさかラジオに繋がるとは思っていませんでした。
テレビ番組のMCからラジオのパーソナリティーもマルチにこなされてますが、いまの仕事を天職だと思いますか?
他の職業をされている方に関しては詳しくわからないんですが、心のそこから楽しいと感じて仕事をしている人がどれだけいるんでしょうか。私はすごく楽しく仕事をさせてもらってるので、心底楽しいと感じながらやってるというのはやはり天職なのかなって思いますね。
沖縄はすごく小さな島なので、この仕事の将来性とかはよく考えたりするんですけど、とにかく表に出続けたいとは思います。たぶん表に出て何かをすることが好きなんですよね。この間もミュージカルの仕事をやったんですけど、楽しかったですよ。
歌とダンスは昔からやっていることではあるので、すごく楽しかったです。歌をやっているときは自分の声がコンプレックスだったのですが、この仕事をはじめて多くの方にいい声だよねって褒められるようになって。おお、私いい声なんだ!ってそこから自信を持ち始めました。
今では、自分の声は聴きやすくて良い声なんではないかと自分でも思えるようになりました。
最初は東京が一番チャンスがあるって思ってたんですよね。ただ沖縄に帰ってきてこの仕事をはじめるようになって、沖縄って狭いからこそチャンスがいっぱい転がってるのかなって思うようになって。沖縄が大好きなので沖縄をベースにいろんな場所で仕事ができたらいいなって思います。私はオールマイティーどんなジャンルもこなせる自信があるので、どんな仕事もやります。水着はNGですけど(笑)。
他は何も制限していないです。イベントの司会もモデルの仕事もなんでも。テレビはもちろん好きなんですが、テレビに関わらずいろんな幅を持った仕事に携わりたいと思います。最近、ライターのお仕事も少しはじめたんですよね。下手ではないと思いますが、まだ本格的な文章を書けるわけではないです。
テレビを通じて、元気な田仲メリアンというイメージが強いと思いますが、自分のバックグラウンドにダンスや歌があることはあまり知られていないのかもしれません。ミュージカルをやった時も、出演しているゆうわく時間(琉球放送)のスタッフが見に来てくれて、純粋に驚いてました。
将来的にはニュースとかもできるようになっていきたい。やはりどんなジャンルでも、田仲メリアンだよね、と言われるようになりたいんです。
若手の頃はかわいかったら許される、みたいなところもあるじゃないですか。でもいまはそれなりに経験も積んできて、そういうスタンスだけではなく、実力で勝ち取っていかなければならない。
田仲メリアンじゃなければいけない、田仲メリアンであるべきだ、と言われるように自分を進化させている時期なんです。後輩たちに、メリアンさんにはかなわないと言われるようになりたいですし、かつて先輩たちが自分にいろんな道を示してくれたように自分も先頭を走っていろんなことに調整してみたいと思っています。